パラダイムシフトと組織体の存続
「政権党が替った」という事
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考えないという事
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田中康夫が長野県知事に選ばれた時の様子を 皆さんテレビでご覧になって御記憶のことと思います
名刺を折り曲げる企画課長、会議で盾突く部長。
勢い良く楯突いて非難されたらころりと手のひらを返したように従順になり謝って見せる課長。
これぞまさしく官僚 其の者では有りませんか。
企業では、この様に時代に着いていく事が出来なくなった人を「リストラ」「リエンジニヤリング」してきました。
彼らが絶対勝つと思っていた副知事が大差で破れたのです。「何故だ」と考えるのが普通の人の思考でしょう。
所が「けしからん」と考えてしまった。ここが問題だったのです。
県民は新しい人を選び、「違うよ」と警告したのに、其れが分からない。
「俺の思っている事と違う、けしからん」と成ってしまったのです。
民主主義は既に無く、「官主主義」が当たり前と勘違いして久しいので、
県知事が県民の代表であると言う極めて初歩的な事が、わから無くなってしまっている。
「県知事は社長と同じだから部下に名刺など渡さなくて良い。」と企画課長が言った。
田中康夫は「俺も市民のうちの1人」と思っている。この認識のギャップの大きな事。
官僚はこのギャップを理解出来ないのです。
彼らにとって県民は「領民」なのでしょう。福祉は遅れて 県民が惨めに成っている。
其れなのに「俺の言う事を聞いていれば良い」と言って 平気でいる。
なんとかしないと、県・国は持ちません。情けないですね。
年金問題の社会保険庁も同じ
これと全く同じことが年金問題で起こっている。
厚生労働大臣が変わって「指示」しても官僚も 社会保険庁の人間も「馬耳東風」の体である。
国民が怒っていることを理解していない。大臣個人が怒っていると思っている。
市町村の窓口でも同じような状況だ。
同じ日本国民とは思えない情けない実態だ。
ここから抜け出すには「官僚世界のパラダイム シフト」を断行する以外にない。
パラダイム・シフト
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NPS研究会という業際集団があった。
この研究会は1980年頃木下幹弥さんという先見の明がある方が
「トヨタ方式に内包されている意義」の大きさに感動されて
自動車産業以外にも是非この考え方を広めたいとして始められた。
この研究会のメンバー企業は非常識と思えるほどの業績を上げた。
(高橋功著:実践NPS経営、プレジデント社、1990)
食品の「紀文」、計測器の「横河電機」、外食の「すかいらーく」というような業種の違う会社が
それまでやってきた「やり方」から「トヨタ方式」と言われる「新しいやリ方:思想」へ「転換」する事にしたのだ。
これらの会社では ある時を境にして突然正・否が逆転するようなことが起こった
「午前中は正しい」とされていたことが「午後になったら間違いである」と
判断基準が突然逆転した と言っても良いほどの急激な転換がなされたのだ。
そして戸惑いながら克服して 業績を改善した。
これが「パラダイム・シフト」を「集団」で成功させた実例です.
時代の変化は 常に「パラダイム・シフト」を求めている。
「パラダイム」即ち判断基準を「シフト」即ち別の基準へ転換することです。
組織の長がある時突然反対のことを言い出す(長野県で起こりました)
昨日まで一生懸命推進していたことを突然中止させて逆のことを始める。
従来集団のリーダーとして発言力のあった人の意見が突然否定されて
末席で反対していた人の意見が通るようになる。
組織内の判断基準が転換したのですから、評価も転換する。
無視されていた人が抜擢され、評価されていた人が無視される。
此れが現場でパラダイムシフトが起こった時の様子です。
人は「手のひらを返したように」変わられるものなのでしょうか。
またこのような状況に耐えられるものなのでしょうか。
従来のやり方や判断基準に疑問を抱いていた人(通常不満分子などといわれる)には,チャンスが来たのですが
多くの(殆どの)人は簡単には変われません。だから変わるのを待っていては変われないのです
そこで「変える」事にするのです。
「変える」と決めて「変えさせる」のです。
それまで「良しとして信じていたこと」を削ぎ落として「新たな事」を信じさせる。
ずばり「洗脳」させる。
柔軟に変われる人と、そうでない人がいる。
評価と信頼が高かった人(従前の規範に合致していた人)ほど変わりにくい。
怒鳴って、脅して、無理矢理やらせる。
組織を支えてきた人達は「修羅場」をくぐる事になるのです。脱落していくものがでます。
「パラダイム・シフト」と言うことは このようなことを言うのです。
組織の長は 更に組織に属するものは
時として自分自身をこのような過酷な(狂気と言える)境地に意識して追い込む無慈悲なまでの勇気と
勉励・克己して生まれ変わろうとする忍耐力とを持たねばならないのです。
「時の流れ」は常に転換を求めています。
変わられないならば 「既に変わっている人」に交代する以外に 道はないのです。
組織体の停滞は「パラダイム(規範)転換」の停滞
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こんな悲惨な苦労をして導入した「新パラダイム」も、
時が経てば当たり前の思想になり 「古い」といわれ 「転換」を求められるのは当然のことです。
一度導入した思想も改革を怠たれば、次の時代の波にはついていけなくなる。
そこでまた「パラダイム・シフト」が求められ 繰り返されて、組織体は浄化され・若返えるのです。
繰り返すエネルギーを失った組織体は
規模の大小、官民に関係なく 腐敗し・衰退して消えていかざるを得ません。
時代の変化が急速になると 繰返周期は短くなり 厳しさは増します。
ここまでくると「シフトしないで済む道」を求めるのが人情です。
長が 自分が変わらずに他人に押し付けて凌ごうとすると
権力機構が硬直化して独裁化への道が始まります。
大方の組織体は この道に落ち込んで、30年で寿命を迎えるのです。
変わり者・異端の輩が生き残れる組織体
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健全で在れば 「シフトしないで済むパラダイム」を探求する事になります
或いは「大きなシフト」をするのではなくて
「小さなシフト」を常に繰り返す方が小さな負担で無理が軽くなると考えます。
これが「KAIZEN」と言うことになるのでしょうか。
実は組織の中には色々な考えの人が居ます。即ち「変わり者」・「異端児」が居るのです。
変わり者は温存されません.どんな集団でも変わり者は変わり者なので迫害されます。
迫害されても「何か普遍的で強いもの」があれば存在し続けられます。
温かではなく 冷ややかでも存在はできるのです。
何度も繰り返されるパラダイム・シフトの中で生き続けられるものは、
丁度「大賀蓮」のように 陽が射せば芽を出して 綺麗な花を咲かせる力を持っているものです。
アジヤ・東洋の偉大な思想家達は、斯様なハスになるKAIZENを提案しているのです。
そして このような「蓮の実」に 時々陽を当ててみる試みがたいせつです。
「毛嫌いしていた奴」に陽を当てて見るのです。これを常日頃できれば良いのです。
でも よほど大型で胆力がある人でなければ難しいでしょうが・・・
「人権・博愛の上に、時代が求めるものが基準である」という基準です。
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